桐生選手が日本人初の9秒台を記録
先日行われた日本インカレで桐生選手が9.98の日本新をマーク。
とうとう日本選手初による9秒台がマークされました。
初めて日本人による9秒台の可能性を感じたのは90年代後半の朝原氏、そして伊東氏でした。
そこから約20年。正直ここまでかかるとは思いませんでした。誰がいつ出してもおかしくない状態が時代、世代を越えて持ち越され続けました。
ですが単に9秒台をマークするということ以上に価値のある、またそれに並ぶレースはこれまでにいくつもあったと思います。
直近で言えばサニブラウン選手の今年の日本選手権決勝や世界陸上予選の走り、昨年のオリンピックでは山縣選手の予選と準決勝、ケンブリッジ選手の予選の走り、遡れば朝原選手が世界大会以外の国際大会においても世界のトップたちと渡り合ったレースなどがそれにあたるのではないでしょうか。
要はどういったレースでどんな選手と走ったのか、そこでどこまで戦えたのかといった点においての価値です。
そういった価値のあるレースはいくつもあったにもかかわらず、なぜここまで日本新が出なかったのかが不思議なわけですが、それは為末氏が言っていたように日本記録が9秒台ではなく、10秒01でも02でもなく、00だったことも少なからず影響したでしょうか。
次の日本新は誰も成し遂げていない大台の9秒台だ、という壁を必要以上に、そして無意識に大きく作り過ぎてしまうとでもいうのか。
だとすれば、各選手の記録に対する無意識のリミッターは外れたかもしれません。
そして9秒台そのものも今までのような価値はなくなるのではないか。
現に桐生選手の今回の走りも本人が脚に不安があったというように、桐生選手ベストの走りではなかったはず。
多田選手もハードな連戦の疲れからか後半はやや脚が後ろに流れてしまい、好調時の走りよりかは劣ったのではないかと思うので、条件も良かったでしょうか。
とはいえ多田選手も10.07のベストで走っていることに違いはない訳で、序盤の飛び出しはやはり見事でした。
そして桐生選手が素晴らしいのはそんな多田選手に先行されても全く動じなかったこと。
いくらインカレとはいえ多田選手との対決は少なからずプレッシャーはあったと思います。
そして最近は勝負弱い、などという声もありましたので、その辺りの心理的影響も小さくなかったと思いますが、そんな壁を一つ乗り越えたところに9秒突入が待っていました。
レースを振り返ると、スタートは土江コーチもいうようにやや抑え目に見えますが、決して出遅れることはなく、むしろスムーズに飛び出すことができました。
跳躍選手が踏切前に一瞬力を抜くタイミングが見事にハマって大ジャンプにつながるかのように、スタートから起き上がるまでの動きは無理なくナチュラルでいて最大限の出力を生み出していたのではないでしょうか。
更にこの日はここからが凄かった。
いつもは50mあたりで到達する最高速度が60mあたりだったらしいですが、実際に中間地点を過ぎてからも力みはなく、脚の回転と接地が必要最低限の可動域内で処理され、そこから生まれたリズムと出力を桐生選手は見事にコントロールしました。それも多田選手と競り合いながら。
本調子であれば、更に噛み合えば8台後半から9台前半も確かに不可能ではないかもしれないですが、もちろんそんなに単純ではないでしょう。
走りの内容自体は今年の織田記念や、2年前に参考で9.87を出した時の方が良かったかもしれませんが、スプリンターとして優れたレースを作ったのは今回の方かもしれません。
今回記録は狙っていなかったとのことですが、いわゆる「出てしまった記録」とは違います。
簡単にいうなら走りに支配されるのではなく、走りを支配したレースだったとでもいうのか。
いずれにせよ、これで日本選手の限界線をも取っ払うことが本当にできたのなら、それが9秒台の持つ最も重要な意味なのかもしれませんね。
〜了〜